2013/11/11 10:00:23
江ノ島サムエル・コッキング苑のシーキャンドルです。
Photo by Yoshimi,G
さて、本日のお勧めは
リヒャルト・シュトラウスのオーボエ・コンチェルトです。


第二次世界大戦の末期、バイエルンの山荘に滞在していたシュトラウスを
アメリカ軍に従軍中のジョン・デ・ランシーが訪ねてきてシュトラウスに
オーボエコンチェルトを書くつもりはないかと尋ねました。
そのときシュトラウスは「特にない」と答えたそうです。
その後1945年になってシュトラウスはチューリッヒでこの曲を書きました。
当のデ・ランシーはアメリカへ帰り(この曲の存在すらも知らなかったらしいです)
シュトラウスのこの曲の存在を知ったときには様々な制約があって
(演奏家ユニオンの規定でオーケストラではトップしかコンチェルトを演奏できない等)
なかなか演奏のチャンスに恵まれなかったそうです。
ちなみにアメリカ初演を担当したのはかのミッチ・ミラーだったとか。
デ・ランシーは一度だけユージン・オーマンディの指揮でこの曲を演奏し、
その後晩年になって指揮者なしの臨時編成オーケストラで演奏したそうですが
この曲の成り立ちに大きく寄与したのに、恵まれなかった気の毒な人ですね。
1948年の出版の際にシュトラウスは最後の部分に書き足しをしました。
デ・ランシーが晩年に録音したものだけが改定版以前の短いオリジナルだそうです。
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アメリカ軍に従軍中のジョン・デ・ランシーが訪ねてきてシュトラウスに
オーボエコンチェルトを書くつもりはないかと尋ねました。
そのときシュトラウスは「特にない」と答えたそうです。
その後1945年になってシュトラウスはチューリッヒでこの曲を書きました。
当のデ・ランシーはアメリカへ帰り(この曲の存在すらも知らなかったらしいです)
シュトラウスのこの曲の存在を知ったときには様々な制約があって
(演奏家ユニオンの規定でオーケストラではトップしかコンチェルトを演奏できない等)
なかなか演奏のチャンスに恵まれなかったそうです。
ちなみにアメリカ初演を担当したのはかのミッチ・ミラーだったとか。
デ・ランシーは一度だけユージン・オーマンディの指揮でこの曲を演奏し、
その後晩年になって指揮者なしの臨時編成オーケストラで演奏したそうですが
この曲の成り立ちに大きく寄与したのに、恵まれなかった気の毒な人ですね。
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